ブログ始めます、って今頃?

ブログの時代は終わったといわれている中でブログをはじめようとしている私。

2000年代~2010年代のブログがどんどん伸びている時期を知っているし、それに比べたら落ち目であることもわかっているのだけど、もともとタイミングを見図るセンスがないので仕方ない。

例えば、オンライン英会話やプログラミング教室はアフィリエイトの王道らしい。どちらも経験しているのに実際に自分がやっているときはそれについて発信できることに気が付かなかった。口コミを検索して、実際に経験したわけではない人のアフィリエイトブログばかりがヒットしてうんざりしていたのにね。

親しい友人二人に「ブログやればいいのに」と言われてスルーしたこともあった。文才もないのになぜそんなことを勧められたのか疑問だけど、性格的に向いてそうということだったのだろうか。

トレンドを見極める力って大事だと思う。その点で私は落第。その一方で、無謀でも始めないと何にもならないので、タイミングが悪くても始めることが大事だと思っている。

怒りは発散しないほうがいいんじゃない

とあるスクールで課題を提出したところ「不合格」とのお返事。ええっ、そんなはずはないと2週間かけて食い下がり、結果は覆らなかったけど、こちらの提出物は基準を満たしていたことを確認できた。抽象的な書き方で申し訳ないのだけど。

 

こういうときの怒りや悔しい気持ちの収め方って難しい。「そっか、行き違いなら仕方ないね」で収められるほど心は広くないし、実際休日を投げうって対応したわけだから、損得勘定で見ても収支マイナスだし。

しかし私は幸か不幸か、雄弁な人間ではないし、そもそも話し相手が周りにあまりいない。そして自分のことを話したくない人=秘密主義である。だからこの話を口にすることはなかった。

 

そうこうしているうちに自分の中で消化が完了して、「そっか、仕方ないね」の気分になった。「嫌なことがあったら親しい人に聞いてもらって発散」が外交的社会においては普通とされているけれど、黙りこくっているほうが解消の速度は速い場合もあるなと再認識した。

それは私が外交的人間ではないから、と言われてしまったら全くその通りで返す言葉もないのだけれど。でも確かに言えることは、話す段階で怒りに再び点火するのは余計なエネルギーだということ。飲食店で話しながら興奮している人を結構見かけるけど、聞き耳を立てるとたいがい「しょうもない話に怒ってんなー」という感想しか持たない。あと「聞かされている人、可哀そう」とかね。

 

怒りを感じたら黙って寝る。これを心掛けていたら人生がちょっとだけ穏やかになるなと実感した出来事だった。

 

書くことは考えること

書くことが苦手で、仕事ではいつも時間をかけてメールを書いてしまうタイプ。その割に出来上がったメールはいまいちなのだけど。

苦手な理由は書くアウトプットが足りていないからなのか、読むインプットが足りていないからなのか、思考するプロセスの経験が不足しているからなのか。全部だな。正確に言うと話すアウトプットも見聞きするインプットも足らないよ。

全部足りていないなら、全部やらなければならないのだけれど、全部やろうとすると計画倒れになること請け合いなので当面「伸ばしたい」と思っている書くことから試してみる。

 

書きたいと言っても誰かの素敵な文章を模写したいのではない。自分の文章を書きたいのだから、本質は考えたいのだ。考えて、自分の頭を整理して、迷わず自信をもって生きたい。

でもさ、迷うのって性格だよね。書いたり考えたりするのはスキルだよね。スキルが上がることで、性格が改善されるわけではないけれど、スキルが上がれば性格上の欠点がカバーできるようになるのだろう。これぞ大人という感じ。

 

大人と言えば、私はいい大人だが若い。否、子供っぽい。これも色々な人生経験が足りていないからだと自己分析している。若いことはいいこと、というのが日本的価値観だけど、同い年で年齢相応以上の経験をしている人に会うといつも凹む。

先日も、複数の事業を興しているコミュニケーションモンスターのような同い年とお話して、(言えるわけないけど事前情報では同い年なんだよなぁ・・)と内心しょんぼりしたところ。

見た目が若いと言われることを心の支えにするしかないじゃないか。しかしなんだその安っぽい心の支えは。

 

だから、その足りない部分を補うべく思考を強化したい。思考するだけだと堂々巡りになって飽きて終わるので、書くことで整理したい、というわけ。思考が強化されるかどうかは謎だけど、少し自信がついて、少し文章を書くのが早くなればそれで十分と甘いゴール設定をしておこう。